ちょっと相談があって、おもいきって送ります。ぼくのお父さんはITエンジニアをしています。お父さんは、ぼくが好きな本やこのサイトを読んでいると、「紙はじきにいらなくなるよ」と言いました。紙なんてなくてあたりまえの日が、どうやら、じきにくるそうです。
お菓子の箱をとっておいても、お年玉でマンガをたくさん買ったときも、「紙は、かさばるからやめなさい」とおこられました。カードも捨てなさいって言います。
ぼくは紙で作ったものが好きなので、こまっています。こないだのワークショップでとび出す絵本を作って、すごく楽しかったです。
ソムリエのお兄さんたちはやさしくて、器用で、すごくかっこいいと思いました。お父さんには言えないけれど、ぼくは、大きくなったら紙ソムリエになりたいです。いっぱい勉強もします。だから、そのためにも知っておきたいです。紙は本当にいらないものなのでしょうか?
ご相談ありがとうございます。
いつも見てくれているんですね。ワークショップまで参加してくださって、とてもうれしいです。
「紙はいらなくなるのか」――その答えは半分イエスで、半分ノーだとわたしは考えています。
このごろは、教科書やマンガもタブレットで見られるようになりましたね。
会社でも、世の中全体でも、紙のゴミを減らしてください、なるべく紙を使わないでくださいと呼びかけています。たしかにそのほうが、紙に印刷するお金も、ゴミを燃やすお金もかからないし、地球にもやさしいし、部屋も散らからないし、かばんも軽くなります。そのほうが便利にきまっています。
お父さまが教えてくださったとおり、紙の印刷物はこれからも減りつづけるでしょう。けれど、そんなにすぐにはなくなりません。
紙で作られたものは、インターネットにアップされたお知らせとはちがって、簡単には直せないのです。だからこそ信じられるとも言えます。新聞を広げればぜんぶが見渡せるように、大きくてかさばる分、情報の見通しのよさも強みです。手もとに残ることで、くり返し見てもらえるという効果もあります。
紙とインターネットのふたつを組み合わせて、お客さまごとに広告のやりかたを変えるなんてお店もあります。
また、地球環境を守るために、今まで使われていたビニールを紙の入れものに変えたり、紙のストローが作られたりしています。なんだかおかしなお話ですね。
リトルランディ様が好きだとおっしゃるように、紙でしかつたわらない味わいも、かならずあるのだと思います。
紙はわたしたちと同じように、年をとります。いつかリトルランディ様が大きくなられたときのことを、考えてみてください。押し入れの奥からふっとあらわれたマンガや、お菓子の箱や、とびだす絵本を見て、こんなふうになやんでいた日のことを思い出すかもしれません。その時、その黄ばんだ表紙や、めくれたページや、しめっぽくて少し温かなにおいにふれて、なにを思うでしょうか。それは、電池の切れた古いタブレットを見つけたときと、同じ気持ちでしょうか。
お父さまも、きっと同じ気持ちになられるはずです。大きくなったリトルランディ様を見て、きっと思い出されるはずです。
あのときいろいろな紙にふれていたあなたの手や、指や、まなざしを思い出して、昔あつめていたカードや、ほこりのかぶったアルバムや、がんばって解いた答案用紙を引っぱりだして、「大きくなったなあ」と、あたりまえのことをかみしめることができるのです。
リトルランディ様が紙ソムリエになっていても、たとえなっていなくても、どんなお仕事をしていようと同じですからね。
その気持ちこそ、おそらく、紙が残りつづける理由の半分なのだと思います。
またわからないことがあればご相談ください。
いつかまた、紙ソムリエでお待ちしています。